東条英機は玄米をすすめたが

 戦時中、東条英機は議会で「国民の主食は玄米にしろ」、勝子夫人も銀座で「玄米を食べましょう」とチラシを配った。その時、軍用食料に携わった川島四郎が忽然と「玄米反対」を唱え、東条に呼ばれ「甘えが玄米に反対なら陸軍刑法の命令干渉だ」そういわれ、命をかけた論争記録が残っている。白米は栄養が落ちるし、肝心な量が落ちて貴重な食料を減らしてします。しかし、川島は答えた。「糠は捨てません。軍馬に食べさせるので量がおちるというご指摘はあたりません。玄米は炊くのに、水も燃料も2倍かかります。よき噛めとおっしゃるけれども、この戦時中の忙しい最中に70回も噛んでいては、兵器弾薬製造に支障をきたします。飯盒もアルミが良いのですが、資源も予算も時間もないのです。東条はしばらくして、「解かった。お前の言うことを聴きよるから、これ以後玄米の話はするな」とおっしゃった。陸軍大臣は農学博士に従った。

現在では、アルミ問題は解決したが、それにしても玄米は普及していない。私も食養指導士として玄米菜食を広めたいと講演で進めている、しかし、なかなか普及しない。白米は米の粕ですよ。玄米は栄養に優れています。しかし、しっかりとすべてを学んだうえで、実践してしただかないと。母がそう思っても家族は猛反対。無理強いしてあまり噛まずに、胃腸を悪くしたり、いやいや食べても楽しくない。せかっくのよい話が本末転倒にもなりかねない。

江戸時代庶民が白米を食べるようになってから、脚気が大流行した。脚気の原因はビタミンB2不足で白米が原因であることが分かった、海軍は玄米を食べたおかげで、脚気は少なったが、白米を推奨した日本陸軍は脚気で戦わずして命をおとした。森鴎外といえば、皆さんは作家を思う浮かべるであろうが実は白米を陸軍に取り入れた代償はぬぐえない。