赤飯のおにぎり

 昭和50年、夕子は母の紹介で隣町の6人の従業員のいる大工に就職をした。新入社員はいがぐりのっぽ。入社式。どもりで障害のある夕子は胃が口から飛び出すくらい緊張していた。d_12096887お祭り好きの棟梁も今日はスーツをビシッと決めて入社式が始まった。とても、怖そうな棟梁と、たよりない新人で2時間はほとんどわからない仕事の話で、これはもうついていけないと思いがよぎった。いつのまにか、棟梁ははっぴ姿。yjimage (5)なんかあったら母ちゃんに行ってや。今日から3人も家族や、夕子、なんも心配せんでいい。とうちゃんに世話になったさかいできることはするが、できないことはできない。庭にしつらえたハレの料理が並んでいた。父さんが大好きだった俵型のお赤飯も置いてあった。そのおにぎりは母さんのおにぎりと同じでそれを見た途端に大粒の涙が止まらなくなった。

小学校の入学式、ふと頭をよぎった。みんな両親に手を引かれ、きれいな洋服や着物がうらやましくて家は魚屋でいつも朝はいないし、今日だってゴム靴姿、父はこない。私はそんな母が許せなくて、きれいな洋服もないし、いっしょにごはんも食べられない。入学式の朝、家に帰るとメモに夕子入学おめでとうという父からのメモと俵型のお赤飯と煮物がいっぱい並んでした。弟が、ねえちゃんすげえとかいっていた。その時のことを思い出していた。家中、魚の生臭いにおいが染みついて、いやだった。昨年、父は44歳で交通事故で、死亡。高校2年生の時に突然消えた。魚やはやむなく閉めた。

町では、保険金をたんまりもらったとか?父の運転が間違いだったとか尾ひれがついた噂が広がった。母は、一切愚痴をこぼさず、悲しみにくれる暇なく2人を育てる為に、なれない介護の資格をとって夜勤迄やって働いてくれた。ご夫婦は、赤ん坊の時から夕子を知っているので、泣いてる理由がすぐに理解できたが、いがぐりのっぽの2人は理由はしらない。だだみんなが泣いているのでもらい泣きしていた。小学校の入学式、あの日も4月の7日、遅咲きの桜吹雪がひらひら散っていた。

俵型の赤飯を通じて、父の愛、母の愛を改めてかみしめた。今度は、私が母親や弟のためにがんばろう。いつのまにか、おかみさんと棟梁のおかげで涙が笑顔になった。