311の被災体験

311東北大震災が発生した時に、私は京葉線の新木場駅のホームで清掃作業をしていた。東京方面からの列車が橋梁の上でグラグラ揺れている。急いでホームを駆け下りて駅前広場へ、広場はあちことで液状化してロータリーの縁石は曲がって、瞬く間に芝生は山のように膨らんで細かな砂があふれ出ていた。駅舎がシャッターで閉じられホームには入れなくて夢の島公園で一夜を明かした、コンビニは8時過ぎには食べ物はなし、レストランも閉まって食べ物、飲み物がなくなった。震えながら一夜を明かし、翌朝7時すぎに救援物資のおにぎり2つと沢庵とお茶が配られ、運よくならんで手に入れることができた。その時点で、千葉県習志野まで歩くことを決めて、歩き始めた。おにぎりは貰ってすぐに食べたけれど、1つは予備にポケットに詰め込んだ。市川橋のところまで歩いてきたら、初老の女性が橋のふもとに疲れ果ててしゃがみ込んでいた。恐怖と空腹のために体調を崩して動けなくなっていた。とっさに、ポケットにあったおにぎりを渡してその場を立ち去った。100メートル位歩いたところで後ろを振り向いたら、立って手を振ってくれていた。たぶんずっと振っていてくれたに違いない。振り向かなけれが気が付かなかったが私も手を振った。災害時には、お金があっても物がない。あの時ほど、食べ物は大切だと思い知らされた。6時間あるいて着いた我が家はおかげ様で被害がなかったが、いつなんどき災難にあうかわからない。

最近では、集中豪雨や台風の影響で自然災害がおおくなっている。最低限、自分の安全と安心を守る為に水や3日分の食料は確保していくべき。