介護雑感40

音楽の力。認知症カフェオレンジサロンが開催され、近くの団地の住民もまき混んで開催された。カレーライスを作ってみんなで食べた。

普段ここには、カラオケもあるし、週末には、解放しているが、やっばり、生のピアノはすばらしい。音に誘われて、寝たきりの人も、ノコノコやってきた。普段は、ぼーーとして、うつむく彼が約1時間ききなら、もぞもぞ口を動かし、歌ってるのか、マスクごしでも、わかる。その夜、私は夜勤だった。普段は、真夜中にパンツにパット「時にはズボンや下着迄全取り替え」を取り替えるのだけど、この夜はぐっすりと寝ていた。たまたまかも、知れないが、睡眠薬を多量にのませるよりも、いい治療方法かもしれない。でも、毎日はむりな話だが。犬が大好きなかたなら、音楽と犬で、大丈夫かも?

青森県五所川原で、長年音楽の先生で 実家はリンゴ農家 ご主人は 10年ぐらい前に 他界され ずっと一人暮らしを続けていたが 認知症が進んで 3ヶ月前に 五所川原を引き払って 千葉次男の 家族と一緒に 生活をして 今 デイサービスに 毎日通っているけれども何か寂しげな顔で 帰りたい帰りたいが口癖になっている。 ステージで 演奏している曲とは 無関係に 急に思い出したように ふるさとを歌い出した 。迷惑な話しで、これが劇場のコンサートなら、事故案件になるくらい、傍若無人のふるまい。今まで演奏した曲はどのような形でお聞きになっていたか分からないけれども この歌は非常にご自身で歌い始めて 何か思い出したのか 涙が流れていた。ここは、認知症カフェ。演奏者は、それに気づいてみんなで「ふるさと」を歌った。聞いていたわたしは、なんとなく五所川原のりんごのふるさとの情景が浮かんだ。だれでも、子供のころは、ふるさとがあり、ちちははや田園の情景をこころのなかにしまっている。

認知症は、ある種の感情は、ふつうな方より敏感だそう、今、たべたかどうかは、すぐにわからなくなるけど、子供のころの楽しかった思い出は、ふとなにかきっかけがあると、鮮明に蘇る。子供のころ、学校からはいつも、オルガンの音が聞こえていた。脳は、生音源ではないと、反応しない。そこの音の中には、優しさやおもりやりが、入ってるにちがいない。

音楽療法という、分野もあるくらい、音楽の力はを改めて感じた。

 

夜勤希望の二十歳代の女性の新人研修、夜勤は、人がいないので研修は一日だけで、基本はすべて覚えていただかないと、仕事ならない。デスクでの研修は3日かけて、教育したので、今日からは実践。夜勤は、まずほとんど寝らないことの覚悟がないと、15時間勤務は長すぎる。これが、難しい。だけど、仕事として選択した以上は、なれるしかない。

さて、実践日前半8時間は、すべて見本?「正解は、自分でさがすもの」でいよいよ後半。終わってわたしの感想は、49点。50点数以下の方は、経験上すぐにやめる。私は、聞かれたらすべてを伝えたい。けれども、大体聞いてこない。だから、続かないかも?しかし、自分にむかない?出来ないと思ったら正直に胸の内を明かして、考える勇気ももってほしい。

一言でいえば、やさし過ぎる。一人の人にかまい過ぎる。介護に愛は必要だが、情に流されてはいけない。
ここには、八畳間が18個室居間の共同スペースの両側に各9部屋。夜、徘徊するひとが三名。ほぼ寝たきりが二名、その他6名。2時間ごとに、失禁や状態確認。部屋の清掃、朝ごはんのサポートで結構忙しい。朝の6時からは、声かけ、起床、洗面トイレ、 食堂への移動、食事が終わったら歯ブラシ、服薬 それを全て一人でこなさなければいけないので朝だけで重労働である。

午前2時頃 一人の男性が 徘徊をして 女性の部屋の ドアを開けた。新人ヘルパーの対応を私は静かに見ていた。「 ここは女性の部屋ですから入らないでください。 部屋に戻ってください」 。男性も抵抗してなかなか戻らない。そのうちだんだん声も荒くなってきて「 すいません戻ってください 。」それの繰り返しになってしまった 。こうなってしまってはなかなか解決をしません 。男性はまず女性の部屋というのは認知症ですから分かっていません。 自分の部屋も分かりませんから戻って下さいという表現はやはり分からないと思います 。

自分では、ここが自分の部屋と思い込んでいるので、機嫌が悪くなるのです。そして、大きな声、命令口調、これはもっともやってはいけないことです。 では、どうしたらいいか 私は30秒で片付けることに しています。 ここで大事なのは優しく低い声で囁くように話すことです何々さん転んだら危ないから部屋に戻ろうね。そしてその人を手招きをして言葉をかけていちにいちにと両脇を抱えて、部屋に戻します。そして、ベッドに誘導し静かに「おやすみ」 ただこれだけのことで十分です 私は、「あなたが、転んで寝たきりになるのがとても心配だから、部屋に戻りましょ。」とお願いをするだけです。 人の 良いい方 ほどいろいろ説明をしているのですが、 わからないのが認知症なんです。 そして、自分が一生懸命やっているこれは大変良い評価すべきですけれども、それによって介護をする人が頑張って疲れて、腰痛や精神的負担をためるということが一番私は問題でなかろうかと感じています 。介護をする人、される人、お互いに人格がありお互いに貴重な時間を共有してるわけですから、私は少しでも 楽に仕事を、しなければいけないと考えています。 介護では頑張らないというのも一つのやり方であると私は思っています

 今、ご家庭でご自分の両親も、主人の両親、子供色々な方を介護している人はたくさんおられると思います。特に親を認知症で介護している人の負担は非常に大変であると察します。私自身も両親の介護にあたって、「母からお金を取られた。」あるいは 、「いじめられた」色々なことを 言われましたが、 一番私が答えたのが 私の子供が、(孫)「おばあちゃんさっき言ったでしょ」と一言を言ったことには非常に腹が立った思いがあります 子供は親の言動を見て育ちます。私も母親に対して、いろいろ心の中で、はっきり言えば憎しみを感じるものもあったことは確かだと思います。 介護をやる事によって、自分の仕事ができない、という苛立ち。 収入がないという苛立ち。 兄弟を裁判所に訴えましたが何一つ解決をしないばかりか、今も兄弟t都は疎遠状態が続いています。 今、日本の社会で、これからますます高齢化が進み、家族内の介護老老介護、あるいは認知症同士の介護、というのが非常に増えてくると思います 。そういった時に、きちんとした対応した社会基盤がなければ、日本は 守れません。 これは、今あなたが元気だと言っても、あと数年後にはどうなるか分からない問題です  

 

 

食事は、食べたくなければ食べなくていい。もし、家族が利用者の要望を叶えてあげたいのであれば、家族で介護されてはいかが?

いつも介護を考えるとき。野生動物を、思い出す。もしも。ライオンが、食欲がなくて。年を取って、衰弱をして、食べたくなかったら?どうなるだろう?これが。私の基準である。つまり。無理に。食べさせたくはないし。それが、本人の希望ではないのか?。胃瘻をしたり、食事介助して無理矢理口に押し込むことこそ、拷問であり、パワハラではないだろうか?

先週1人の男性が。介護施設に入所を入賞された。その男性は?自宅で。自由気ままに。生活しておられたそうで、何しろ食事が気に入らない。朝から、モーニングコーヒー。サンドイッチ。その他、あれこれ。注文が多い。コーヒーは、ドリップで、サンドイッチはトマト抜きレタスで。認知症が進んで、他のことではコミュニケーションがとれないが、なにしろ自分のやってほしい事だけは、きちんとしている。施設では?原則。朝食は?ご飯に味噌汁。ご飯の代わりにバターロールが。味噌汁の代わりに。コーンスープが。用意されているが、そのほかは?変えることは、できない。何しろ?朝の。5時半に。ご飯を炊いて、15人分の。支度は、一時間程度で。終わらなければ、その日のスケジュールは?進まない。朝早く、起きて一生懸命料理してくれる調理人からすれば、怒る気持ちも判る、しかし、みんなが、その怒る声を聞きながら、食べるのは良くない。料理人も時間になれば、廃棄してしまう。「もったいない」とか「後で食べさせてあげて」というのは簡単だけれど、誰が朝の忙しい時間帯にやれるのだろうか?

なにしろ、朝は特に人手不足で9時までには、起床、着替え(おむつ換え、パット)、トイレ、洗面、食堂移動、入歯管理、食事、歯磨き、薬、皿洗い、片付けその他分刻みのスケジュールで忙しいので、1人の事に時間が取られてしまうと全体が狂ってします。このようなに、わがままな人が多いと、また。周りのものは私も。という要望が強くなってくるし、職員教育が出来ていないと、またまたクレームが事故報告書。

この男性は?丸2日間。ほとんど。食事らしい食事はしていない。そして。体が痛い。お腹がすいた。トイレに行きたい。何しろ?夜夜中。この人、この人ひとりのために。何度も。何度も。介護。強いられ。強いられてしまう。

 

介護現場では?職階と言って。職員が。スプーンで。食事を。支えるけれども。どうしても?時間配分とかで。時間が早くなってしまったり。充分に時間がとれないのが現状である。正直に言えば。口に詰め込む。といった表現になってしまうのかもしれない。私たちは。毎日毎日。一生懸命であるけれども。それが。本当に?利用者のためになっているのか?不当考える時がある。

しかし。施設に。預けている家族から思えば。それは?クレームの対象として。とっておきの。材料になってしまう。上司も、まさか。ほっとけとは言えないし。なるべく、丁寧に、介助するように。どの指示になってしまう。

先週1人の男性が。介護施設に入院を入賞された。その男性は?自宅で。自由気ままに。生活しておられたそうで。何しろ食事が気に入らない。朝から。モーニングコーヒー。サンドイッチ。その他。あれこれ。注文が多い。施設では?原則。朝食は?ご飯に味噌汁。ご飯の代わりに。が。ご飯の代わりにバターロールが。味噌汁の代わりに。コーンスープが。用意されているが。そのほかは?変える言葉。できない。何しろ?朝の。5時半に。ご飯を炊いて。15人分の。支度は?一時間程度で。終わらなければ。その日のスケジュールは?進まない。 このような。人が。多いと。また。周りのものは?私も。という要望が強くなってくる。この男性は?丸2日間。ほとんど。食事らしい食事はしていない。そして。体が痛い。お腹がすいた。トイレに行きたい。何しろ?夜夜中。この人、この人ひとりのために。何度も。何度も。介護。強いられ。強いられてしまう。

 

介護現場では?職階と言って。職員が。スプーンで。食事を。支えるけれども。どうしても?時間配分とかで。時間が早くなってしまったり。充分に時間がとれないのが現状である。正直に言えば。口に詰め込む。といった表現になってしまうのかもしれない。私たちは。毎日毎日。一生懸命であるけれども。それが。本当に?利用者のためになっているのか?不当考える時がある。

 

私は。いつも介護を考えるとき。野生の。生物を。思い出す。もしも。ライオンが。食欲がなくて。年を取って。衰弱をして。食べたくなかったら?どうなるだろう?これが。私の。基準である。つまり。無理に。食べさせたくはないし。それが。本人のためになっていると思う。私は。あまり考えたことがない。

 

しかし。施設に。預けている家族から思えば。それは?クレームの対象として。とっておきの。材料になってしまう。上司も。まさか。ほっとけとは言えないし。なるべく。丁寧に。解除するように。どの指示になってしまう。

介護予防に農業体験がいい

 

自然に暮らす事を考えてみれば、清らかな水があり、燦々と照りつける太陽があって、生きた土壌があって、そこに人がいる。

只それだけを想像しただけで、元気になれるような気がしませんか?人工照明やコンクリートの建物の中で、電磁波や無機物な

パソコンを相手に過ごす生活では、体は壊れます。山村で自給自足でのんびり、まったり、自気気ままそんな生活がきれいな脳を育てるのです。最新の研究によって、それは証明されつつある。当たり前のような気がするが・・・・

私の中国の体験談です。私の子供も頃のような、60~70年前にタイムスリップしたバラックの建物、鶏が庭にいて遠くには山。雑草の中に、野菜を探して(いや、本当に雑草 食べられる)生活している環境。そこに。年老いた老人がいた。明らかに目は白くにごり、腰も曲がっている、どう見ても金持ちでは見えない。人の良さそうな方で、話こんでいたら、目の話になった。日本では、白内障の手術はもう日帰りでも出来るくらい、安心安全の部類の手術に入ると思う、私も60を超えて左目を白内障の手術をしてはっきり物が見えるようになった。今70歳だけど、緑内障は治療中だけど、おかげで新聞や運転にはまだ支障はない。ご夫婦は60近く出そうだが、どうみても私より年上に見えそれなるそれなりに、人生経験を物語っている。私は口を挟んだ。(勿論ガイドの通訳を通して)「白内障の手術をしましょうよ?日本で、簡単だし?」私は頭の中で、すでに答えを用意していた。「そうかい。そんなに簡単によくなるのならいくよ。ありがとう。是非受けたいね?」しかし、答えは全く予期せぬ答えだった。「ここで、みんなと仲良く平和に暮らしてる。多少目が不自由でも、玉子がどこにあって、コンロがどこにあってみんな分かってる。必要ないと」私は、ちょっとおかしいと思ったが、話をきいて行くうちに自分がおかしい事が判ってきた。「目がよくなっても、全てが若返り元気になれるわけでもない。検査で引っかかって出来ないこともあるし、手術しても失敗やその他で失明のリスクもあって誰も補償はしてくれない。目にメスを入れるなんて恐ろしくて」私はさらによけいなことをしゃべってしまった。「お金は、借りられるんじゃない?」相手は、あくまでもやさしい目でこたえてくれた。「お金のために、生きたくないとはっきりおっしゃった。」私は、それ以上言葉がでなかった。ここで。先祖がくらし。先祖も50~60代で亡くなっている。多分、病院にも行かず、ある日田んぼや畑で倒れ、息をひきとったのだろう。

 

今、僕は寝たきりの若者まで、施設でお世話している。施設には、管理規定があって、自由に外に行くことさえできない。ここで、もう5年以上も生活?している90代の人もいる。今、60代の人は、ここであと20~30年すごすことになるのだろうか?

施設に今いる人達が、元気に社会復帰して社会貢献できる可能性は、残念ながらゼロ。だとすれば、この人達が生まれてきてほんとうによかったと、心から父母に感謝できるだろうか?

今の、日本の特別養護老人ホームの入居者は、命つきるまでこのように日々を過ごす。残念なことは、本人が故郷の野山に帰りたいと願っていても、もう認知症なのでそれさえもわからなくなってしまっているのではないか?

自分が今食べた事も、自分が今死んだこともわからなくなっている。これが、幸せなのか?

 

農業体験が認知症を予防する。

体験型農園利⽤者の唾液のホルモン計測による検証の結果、農作業の前後でストレス軽減、幸福度の増加といった傾向が確認され、農園における農作業のストレス軽減効果の有効性が証明された。


アミラーゼが減少 農作業でリラックス状態に

アミラーゼは、緊張した状態が続くと唾液内の含有量が増加します。
農作業の前後でアミラーゼの顕著な減少が見られ、緊張が緩和されてリラックス状態となることが確認できました。

唾液中のアミラーゼ計測は、簡易的なストレス計測方法で、25から50が通常状態、20以下がリラックス状態の目安とされます。

コルチゾールが大幅な減少 高いストレス軽減効果

コルチゾールは、数時間の長期的なストレス変化を正確に示します。
農作業の前後でコルチゾールの顕著な減少が見られ、高いストレス軽減効果が確認できました。
コルチゾールは、ストレスにおける脳下垂体由来のホルモンで、心理ホルモンと呼ばれます。

クロモグラニンの変化との比較から、短期的なストレスよりも、長期的なストレス効果が高いと言えます。

クロモグラニンが緩やかに減少 短期的なストレスに緩和効果

クロモグラニンは、急速なストレスによって心身が硬直状態になったとき、突発的に唾液中の濃度が上昇します。
農作業の前後でクロモグラニンは緩やかに減少し、短期的なストレスに対して緩和効果が確認できました。

適度な農作業によって、身体の硬直や緊張を改善し、緩やかなリラックス状態が維持されると考えられます。

オキシトシンが緩やかに増加 農作業で幸福度が増進

オキシトシンは、別名“幸福ホルモン”と呼ばれ、幸福を感じると分泌されます。
農作業の前後でオキシトシンが緩やかに上昇しており、幸福度が増進していることが確認できました。

コルチゾールの変化クロモグラニンの変化アミラーゼの変化

緩やかなオキシトシンの上昇は、急激な幸福度の上昇=興奮状態ではなく、適度に落ち着いた“ちょうどよい幸福感”を感じていると考えられます。

介護職員は、慢性的に不足していて、特に夜勤帯は利用者数人から15名程度を1人で見回るケースがほとんどでないだろうか?

 

朝は起床介助、洗面、着替え身支度、トイレ介助、食事介助、歯ブラシ、トイレ、移動

ベッド清掃それの人数分を限られた時間の中でしなければならない。中には食事を用意し

後片付けまでこなさなければならない事業所もある。朝の5時から、忙しい。10人程度ここまで終わるとだいたい9時になる。便失禁が1人でもあると、ゴム手袋、消毒、それに老人特有の便臭で仕事とはいえ、辛い。

 

当然1人に当てられる時間には制限があり、本当のところ利用者1人1人の要望を聞いていては対処出来ない。私達は、やってあげたくても出来ない状況にあるし、1人の時間をかけることは、他の利用者からのクレームにもなってしなう。「こっちに来るのが遅い」同じ事を同じ方に何度も何度もいわれると、ついついイライラして時には、強い口調で注意しなければ成らないこともたびたびである。

 

利用者には、それぞれに事情があり、痛み、眠れない、かゆい、といった比較的対処しやすいものもあるけれど、死にたい、帰りたいその他いろいろ言われてもなすすべはない。患者さんの中には、どうしても自分だけかまってほしいというタイプの人がいらっしゃって、すぐにコールを押される方もおられる。一応緊急時とみなして対応が義務づけられている。トイレに連れてって、でも20分たっても排泄の様子はない。帰る、またすぐトイレ。言うことをきかない。こちらも、ついつい、おむつもしてるし、大丈夫、それに部屋にはポータブルトイレも、尿瓶も用意してあるから大丈夫と言っても聞かない、女性の場合には男性が一緒にトイレ介助するのを極端に拒否する方も、気持ちは理解できても実際に女性はいないのだから、やるっきゃない。

 

私は、最近気がついた。自分が気持ちよい環境で介護をして貰いたいと思うならば、少しの我慢には目をつぶっていただいて、(ご協力いただいて)介護者には、終了時に「ありがとう」の一言をかけられるような、利用者になっていただきたい。正直、介護するのも人の子。ぶつぶつ文句言われる人の所には、行きたくない。

 

先日、わがままな男性が入所され、介護人をまるで自分の意のままにしないと気が済まない方が入所された。朝は、コーヒーにクロワッサン、野菜サラダにヨーグルト。入所条件は、特にご自身、ご家族、その他介護者が食事を用意出来ないときは、施設の食事を提供する約束と書いてあるけど、本人は認知症だから皆目理解されていない。朝から夜まで、文句にいいどうし。声を荒げる、手をあげる。あばれて言うことを聞かない。

 

そんな、彼が入所3週間後の夜に突然の心不全であっと言う間にに亡くなった。私が彼の死を知ったのは、死後3日立ってから。その後、家族や施設関係者からいろいろな話が漏れ伝わってきた。共通しているのは、「死んでくれて、良かった。」というもの。家族からも見放され直葬で式もないし、どこへ葬られたかもしれない。彼は、長く防衛庁で幹部として退職され、その後警備会社の役員として70歳迄働き、2年前に妻を亡くしてからは、急に認知症が進行したそう。

 

実は、今いろいろなところで同じような話を聞くことがおおくなった。「死んで、よかった」かなしい社会になってしまった。

 

私は、まず施設のお世話には絶対にならない。自分でも、正直施設にとって、いい人になれる自信がない。大丈夫、お金もそんなにないし、施設にも入れないのだから?(笑)

私、大変なんです?お母さんの介護で大変なんです?兄弟も手伝ってくれないし。お金だってかかるし。もうやってられないんです。施設にだって入れないし、社会福祉協議会だって話は聞いてくれても。結局、何もしてくれない。争っても解決はしない。 母親は、昼も夜もわからないし、 便失禁さえも、わからない。日本人は、まじめ過ぎていい加減なことが嫌いな人も多いのも事実。

長男だから、一人っ子だから、本当はこんなことやりたくないのに仕事をやめるのも、お金がかかるのも、すべておかあさんのせいで、私は結婚出来ない。(結婚していて、なんでわたしが?)大抵は、女性にその仕事が?

自分の母親の介護を。完璧に。やろうとするほど。本人に,どんどんストレスが溜まりに最悪の場合には?自分が先に倒れて死んでしまう。という話が。最近多いのです。

介護施設でも、現実給与が安い、キツい、臭い、汚い。やりたくないのが現実なのかもしれません。

介護する人が気を付けなければいけないことは、完璧を求めて頑張り過ぎないこと。自分に出来ないことがあれば、遠慮なく発信して手伝って貰うことも必要なのです。自分一人で悩んだり判断しないで、助けを求めることも必要です。助けて貰ったら、今度は少しでも助けられる環境や立場にいることをすればいいのです。

介護で大切な事は、心の余裕を持つこと。相手から、「ありがとう」を待つのではなく、自分がお世話させていただいて「ありがとう」といえる位の余裕がなければ、けっしていい介護はできないし、自分自身が成長出来ない。

認知症や話のできない人や表情がわからない人から、「ありがとう」と言ってほしいんだと要求しても、相手は病気なんだから分からない。自分の人生を、幸福にするコツは、いつでも立場の弱い人を慰めること、慰めは、知識であったり、お金であったり、手助けだったり、つきあいだったり。笑顔だったり、自分で出来る範囲のことをすれば、それで充分。出来ないことをやろうとするからいけない。お金がないからサラ金から借りる。おむつは、濡らしたらすぎ変える、紙オムツも高額。どんどん追い詰められる行く。

 

人生、生きるのは空しいものであり、苦しいもの。そして、自分がいくら頑張っても、死んでいくときは一人だし、家族や子供がいなければなおさら自分が苦しむ不条理、今のうちに、しっかり自分が自分の問題として今、捉えておかないと尚更に苦しまなければならない。

介護は、自分ができるかぎりのことを、ただ真剣に感謝をこめてできるかぎりの範囲でやればいい。完璧はない。完全はないのだから。

介護予防に農業体験がいい

 

自然に暮らす事を考えてみれば、清らかな水があり、燦々と照りつける太陽があって、生きた土壌があって、そこに人がいる。

只それだけを想像しただけで、元気になれるような気がしませんか?人工照明やコンクリートの建物の中で、電磁波や無機物な

パソコンを相手に過ごす生活では、体は壊れます。山村で自給自足でのんびり、まったり、自気気ままそんな生活がきれいな脳を育てるのです。最新の研究によって、それは証明されつつある。当たり前のような気がするが・・・・

私の中国の体験談です。私の子供も頃のような、60~70年前にタイムスリップしたバラックの建物、鶏が庭にいて遠くには山。雑草の中に、野菜を探して(いや、本当に雑草 食べられる)生活している環境。そこに。年老いた老人がいた。明らかに目は白くにごり、腰も曲がっている、どう見ても金持ちでは見えない。人の良さそうな方で、話こんでいたら、目の話になった。日本では、白内障の手術はもう日帰りでも出来るくらい、安心安全の部類の手術に入ると思う、私も60を超えて左目を白内障の手術をしてはっきり物が見えるようになった。今70歳だけど、緑内障は治療中だけど、おかげで新聞や運転にはまだ支障はない。ご夫婦は60近く出そうだが、どうみても私より年上に見えそれなるそれなりに、人生経験を物語っている。私は口を挟んだ。(勿論ガイドの通訳を通して)「白内障の手術をしましょうよ?日本で、簡単だし?」私は頭の中で、すでに答えを用意していた。「そうかい。そんなに簡単によくなるのならいくよ。ありがとう。是非受けたいね?」しかし、答えは全く予期せぬ答えだった。「ここで、みんなと仲良く平和に暮らしてる。多少目が不自由でも、玉子がどこにあって、コンロがどこにあってみんな分かってる。必要ないと」私は、ちょっとおかしいと思ったが、話をきいて行くうちに自分がおかしい事が判ってきた。「目がよくなっても、全てが若返り元気になれるわけでもない。検査で引っかかって出来ないこともあるし、手術しても失敗やその他で失明のリスクもあって誰も補償はしてくれない。目にメスを入れるなんて恐ろしくて」私はさらによけいなことをしゃべってしまった。「お金は、借りられるんじゃない?」相手は、あくまでもやさしい目でこたえてくれた。「お金のために、生きたくないとはっきりおっしゃった。」私は、それ以上言葉がでなかった。ここで。先祖がくらし。先祖も50~60代で亡くなっている。多分、病院にも行かず、ある日田んぼや畑で倒れ、息をひきとったのだろう。

 

今、僕は寝たきりの若者まで、施設でお世話している。施設には、管理規定があって、自由に外に行くことさえできない。ここで、もう5年以上も生活?している90代の人もいる。今、60代の人は、ここであと20~30年すごすことになるのだろうか?

施設に今いる人達が、元気に社会復帰して社会貢献できる可能性は、残念ながらゼロ。だとすれば、この人達が生まれてきてほんとうによかったと、心から父母に感謝できるだろうか?

今の、日本の特別養護老人ホームの入居者は、命つきるまでこのように日々を過ごす。残念なことは、本人が故郷の野山に帰りたいと願っていても、もう認知症なのでそれさえもわからなくなってしまっているのではないか?

自分が今食べた事も、自分が今死んだこともわからなくなっている。これが、幸せなのか?

 

農業体験が認知症を予防する。

体験型農園利⽤者の唾液のホルモン計測による検証の結果、農作業の前後でストレス軽減、幸福度の増加といった傾向が確認され、農園における農作業のストレス軽減効果の有効性が証明された。


アミラーゼが減少 農作業でリラックス状態に

アミラーゼは、緊張した状態が続くと唾液内の含有量が増加します。
農作業の前後でアミラーゼの顕著な減少が見られ、緊張が緩和されてリラックス状態となることが確認できました。

唾液中のアミラーゼ計測は、簡易的なストレス計測方法で、25から50が通常状態、20以下がリラックス状態の目安とされます。

コルチゾールが大幅な減少 高いストレス軽減効果

コルチゾールは、数時間の長期的なストレス変化を正確に示します。
農作業の前後でコルチゾールの顕著な減少が見られ、高いストレス軽減効果が確認できました。
コルチゾールは、ストレスにおける脳下垂体由来のホルモンで、心理ホルモンと呼ばれます。

クロモグラニンの変化との比較から、短期的なストレスよりも、長期的なストレス効果が高いと言えます。

クロモグラニンが緩やかに減少 短期的なストレスに緩和効果

クロモグラニンは、急速なストレスによって心身が硬直状態になったとき、突発的に唾液中の濃度が上昇します。
農作業の前後でクロモグラニンは緩やかに減少し、短期的なストレスに対して緩和効果が確認できました。

適度な農作業によって、身体の硬直や緊張を改善し、緩やかなリラックス状態が維持されると考えられます。

オキシトシンが緩やかに増加 農作業で幸福度が増進

オキシトシンは、別名“幸福ホルモン”と呼ばれ、幸福を感じると分泌されます。
農作業の前後でオキシトシンが緩やかに上昇しており、幸福度が増進していることが確認できました。

コルチゾールの変化クロモグラニンの変化アミラーゼの変化

緩やかなオキシトシンの上昇は、急激な幸福度の上昇=興奮状態ではなく、適度に落ち着いた“ちょうどよい幸福感”を感じていると考えられます。

 

 

 

 
 
 

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