食糧が駆け引きに

 

 

川島 博之

 

 

 

 

 

(写真はイメージです/Pixabay)© JBpress 提供 (写真はイメージです/Pixabay)

(川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)

中国の10月の米国からの大豆輸入量は340万トンと、前年(2019年)の3倍になった。これは米中の通商合意(2020年1月に「第1段階」合意)を受けたものであり、2020年の輸入量は4000万トンに達すると予測されている。

このニュースをどのように考えたらよいのであろうか。多くの日本人はトランプ大統領の強硬な姿勢に中国が屈服したと捉えるであろう。米国人もこのニュースを聞いて、トランプは良い仕事をしたと考えているのかもしれない。

しかし、政治的圧力によって貿易を歪めたことは、決して米国の国益に繋がらない。それはバイデン次期大統領にとって、厄介な置き土産になってしまった。

中国の求めに応じて生産量を増やしたブラジル

図に中国の大豆輸入量の変遷を示す。中国の大豆輸入量は経済が順調に発展し始めた1990年頃から急増した。

中国の大豆輸入量の推移(単位:100万トン、出典:FAO)© JBpress 提供 中国の大豆輸入量の推移(単位:100万トン、出典:FAO)

大豆を絞ると大豆油が得られると共に、その搾りかすが良質な家畜飼料になる。中国では経済発展に伴い豚肉と食用油の消費量が急増したが、それを供給するために大豆は欠かせない農産物となった。

大豆は中国でも作られている。しかし穀物に比べて単位面積当たりの収穫量が少ないことから、中国は穀物の生産を優先させて大豆は輸入に頼ることにした。図にはその様子がよく現れている。

中国の大豆輸入量は2017年にピークに達した後、横ばいに転じた。これは食生活の改善が一段落したことを示している。人口もほとんど増えなくなったことから、今後、輸入量が大きく増えることはない。

以上のことを理解した上で図をもう一度見ると、2018年に米国からの輸入量が減少していることが分かる。一方、ブラジルからの輸入量が急増し、輸入量が6600万トンになったのに対して、米国からは1700万トンに留まった。これはトランプ大統領がハイテク技術の流出や知財権問題に関連して中国に強硬な態度を打ち出したことへの意趣返しと考えられる。

なぜブラジルからの輸入量を増やすことができたのだろうか。それはブラジルが大豆をいくらでも作ることができるからだ。中国がブラジルにもっと大豆を作ってくれるように頼むと、ブラジルはそれに応じる形で生産量を増やした。

日本では農水省の役人や農学部の先生が、「食料を大量に輸入していると、なにかの時に売ってくれなくなる」とした食糧危機説を説いていたが、現実の世界では全く逆のことが起こっていた。

世界には膨大な食料生産余力が存在する。そのために「食料を売ってくれないこと」が問題になることはない。問題になるのは「食料を買ってくれない」ことである。正確には他の国から買ってしまうことが問題になる。

大豆は「武器」になる

米国の農民は、中国が米国からの輸入を減らしたことに驚いた。当然、トランプ大統領に文句を言う。そんな農民に対して、トランプは「今は中国と戦争の真最中だ。ハイテクで分野での中国封じ込めは重要だから、大豆が売れないくらい我慢しろ」とは言えなかった。

なぜなら農民は中西部に多く住んでおり、そこはスイングステートと呼ばれる大統領選挙で最も重要な地域だったからだ。農民が本気で怒れば、共和党は大統領選挙だけでなく上下両院議員選挙でも不利になる。そうなれば議員だって黙っていない。トランプ大統領は慌てて中国に働きかけ大豆輸入を増やしてもらうことにした。

中国側は大豆がこれほど有力な武器になるとは思っていなかった。しかしトランプの態度が、大豆が武器になることを教えてくれた。

どの国から輸入しても大豆は品質も価格もさほど変わらない。中国は大豆輸入に4兆円弱を費やしているが、輸入総額が200兆円程度であることを考えると、どうでもよい存在だった。米国の大豆輸出額も2兆円弱であり、輸出総額が約250兆円の米国にとってそれほど重要ではない。

一方、今年になって中国が米国からの大豆輸入量を増やしたことに怒っている国がある。ブラジルである。ブラジルのボルソナロ大統領はトランプと馬が合うようだが、大豆問題では怒っている。ブラジルの輸出総額は22兆円ほどであり、その中で大豆輸出は重要な位置を占めているからだ。

お客様の気分を害するようなことをすれば、誰だって買ってくれなくなる。そうなれば他の国から買うのは当然だろう。ブラジルは正当な商行為の結果として利益を得ていた。それなのに、米国は恫喝によってブラジルの商売の邪魔をした。そう思っている。

こんなことでは、いくら米国が中国包囲網を作ろうとしても、両手をあげて賛成してくれる国は少ないだろう。

この状況を維持しなければならないバイデン

大豆貿易はバイデン新大統領にとって、厄介な置き土産になった。現在、中国は通商合意を履行する形で米国からの大豆輸入量を増加させている。バイデンはこの状況を維持しなければならない。もし維持できなければ、民主党は中西部のスイングステートでの選挙で不利になる。それが分かっているから、中国は今後ことあるごとに大豆を持ち出して、バイデン政権との交渉を有利に運ぼうとするはずだ。

そもそもブラジル農業が急速に発展し始めたために、米国農業は鉄鋼や自動車産業がそうであったように、斜陽産業になり始めていた。そこにトランプ大統領が無理やり手を突っ込んだために、中国に思わぬ武器を渡してしまった。

食料貿易に関して言えば、トランプは有能な大統領ではなかった。中国はトランプが再選されることを望んでいたと言われるが、食料貿易から見るとその観測は当たっている。短気で戦略のない大統領の方が付き合いやすい。

 

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