ハレとケ

古来より、日本人は、普段通りの日常を「ケ」の日、祭礼や年中行事などを行う日を「ハレ」の日と呼び、日常と非日常を使い分けていました。ハレの日は親族が集まって、豪華なご馳走をふるまいお祝いします。田舎の結婚式とが、還暦祝いとか。江戸時代には、牛肉や豚肉はほとんどありません。鶏も卵を産めなくなった老鶏や雄鳥の首を裏庭で首を落とし、逆さにつるして血抜きをして親戚にごちそうとしてふるまったのです。今は毎日がハレの日のような食事でカロリーーバー普段は少食でおなかがすいている状態の方が、体は動くことは立証されています。ハレの日がすくないからこそ、価値があり、親戚がたまに集まるから絆が深まるのです。今は子供がすくなく、親戚づきあいもすくなくなりました。今は、新しい付き合い方を模索する時期です。一人暮らしで身寄りのない人生はさみしすぎませんか?(三橋 敏次)

 

s_0nbr■「ハレ」と祭り

「ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたり、お酒を飲んで祝ったりして、特別な日であることを示します。古来より、日本人は、木にも火にも水にも神様が宿っていると感じ、これを「八百万の神」といって大切にしてきました。そして、身辺で起こるよいことも悪いことも、神様のおかげ、神様のせいと考え、人々は祭り(祀り)をつかさどるようになりました。祭りの華やかさ、行事の晴れやかさ、ケガレを落とした後の清々しさが「ハレ」であり、「晴れ晴れ」「晴れ着」「晴れ姿」など「ハレ」の気持ちを表した言葉がたくさんあります。

■「ケ」と気枯れ

「ケ」は普段通りの生活を送る日ですが、日常生活の「ケ」がなく、毎日がお祭りの「ハレ」だったら、それはつまらないものになってしまうかもしれません。また、陰鬱な気持ちや何かよくない力、病気や死など、「ケ」の生活が順調にいかなくなることを、「気枯れ」=「ケガレ」といって忌み嫌い、禊ぎ、清め、祓いなどをしました。「ケガレ」を落とし、単調になりがちな生活に「ケジメ」をつけて、「ハレ」の日を迎える。そうした物事の繰り返しで暮らしが成り立っているのです。

■「ハレ」と「ケ」はワンセット

日々に「ハレ」と「ケ」があるように、一人の人の日々の中にも光の部分と影の部分があります。悪いことが起こると「明日はきっとよくなる」と自分を励ましたり、よいことが起こると「いいことばかりではない」と喜びすぎるのを戒めたりすることがあります。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」です。この感覚は、日本人の暮らしのメリハリや心の影響と深いかかわりをもっています。