かあちゃんの黄色いカレー

 黄色いカレー小学生のころ、大好きだった黄色いカレー。カレーのときは、必ずごはんをお替りしていた。
かあちゃんの黄色いカレーの秘密は、小麦粉をといてとろみの加減を調節することと、カレー粉を水でといて丁度いい色と味にすること。そうそう2杯目はちょっと醤油やソースをかけて、昭和の味、かあちゃんの味だ。

 朝は、鰹節を削り、煮干しと昆布でだしをとる。かつおを削るキュキュッという声を聴きながら起きてくる。時々最後の小さくなった3センチ位の鰹節が入っていて、齧り付く。少し硬いけれど噛んでいると鰹節の味がしておいしい。時々、だだをこねて鰹節削りを母から奪って削るのだけれど、音がまったく違うし粉のようになってしまってうまく削れない、母が削ると板をかんなで削るようにとろこぶのように好透き通ったものができるのが不思議だった。

 父が84歳でなくなるまで、母は毎日のように味噌汁を作っていた。父が亡くなって2年ぐらいたったら痴呆症が出てきて、僕は一切の火を使う料理を取り上げてしまった。ガス栓も止めた。その前には
何度か豆を煮たり、大根を煮たりしたが、時々鍋を焦がし真っ黒にすることもあった。
 母を介護するようになって、介護食は主にレトルト品でまかない、食事はほとんど総菜を購入。
私は、トースト、コーヒーは味噌汁は作らない。

 小さい頃に、母は冗談半分に、糖尿病は贅沢病と言うのだから、贅沢をして糖尿病になってみたいもんだと聞いたことがある。介護を初めて5年目の時、病院でお母さんは糖尿病ですから、毎日インシュリンの注射は欠かさずうって下さいと医者から言われて母は、贅沢はしていないと言い張った。医者はおもむろにみなさんそうおっしゃる方が多いんです。でも、昔とは違い、普段でも知らず知らずのうちに甘い物を皆さん召し上がっているんです。後から気が付いたことなのですが、母はサイダーが大好きで病院でもいつもサイダーをもっていっていた。ほんとうにおいしそうに飲んでいる母の姿が目に浮かぶ。でもそのサイダーで砂糖で換算するとなんと30グラムも入っているとか?