ミネハハ

No.67 「海ゆかば」に、日本人の精神がよく表れている

奈良時代の貴族に大伴家持(おおとものやかもち)という人がいました。歌人(かじん)として有名で、小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)の作者の一人でもあります(中納言家持)。

家持の詠んだ歌(長歌)から採(と)られたのが、よく知られた「海ゆかば」の歌詞です(万葉集巻十八)。

「海行かば 水漬(みづ)く屍 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへ(え)り見はせじ」

(意味)戦いで海に行くなら、水に漬(つ)かる屍(しかばね)となりましょう。戦いで山に行くなら、草の生える屍となりましょう。天皇のお側(そば)で死ぬのなら、決して後悔はしません。

この歌には、日本人の精神がよく表れています。中心者である天皇に献帰(けんき、捧げ奉ること)し、心を一つに合わせて生きていこうという精神の表明(ひょうめい)なのです。

第5章の「中心主義」で述べた通り、光は虫眼鏡(むしめがね)によって焦点(しょうてん)に合一したときに最高の力が出ます。国家も、国民の精神が中心者の天皇に献帰したときに最高の力が出るのです。国民一人ひとりの力が、大いに発揮されることになります。

その合一は、ただの理屈(りくつ)や一方的な考えの押し付けではないのか、という疑問が起こるかもしれません。でも、理屈や押し付けで、本当の偉大(いだい)さを発揮(はっき)することはできません。

日本国では、誰かに教えられたわけではなく、無理矢理(むりやり)指図(さしず)されたわけでもなく、自然や神々から教えを受け、素直にそれを実行してきました。その中に、中心と部分の関係があります。中心は全体をまとめ、部分は中心を尊(たっと)びます。

この関係には、人が定める理屈(りくつ)や決まりを超えた、奥深くて崇高(すうこう、優れていて気高いようす)な意味があります。国家が一大事(いちだいじ)のときに、一丸となって危機に対応する国民力なのです。それを天佑(てんゆう、天の助け)や神風(かみかぜ、神の威力によって吹く風)ともいいます。

林英臣の補足:私たちは、誰から頼まれたときに真剣になるでしょうか。やはり、尊敬する人から「頼むぞ」と言われたときでしょう。尊敬する相手は身近(みぢか)にもいますが、日本は天皇陛下が中心の国ですから、陛下のために努力して生きようと思うことは、日本人として自然で素直な感情なのです。(続く)