学校給食は米食で

 学校給食を、米中心の和食にかえたことで、暴力行為がなくなり、がっこうの成績も向上した、そして何よりも、人を思いやる心が芽生えて、生きる事に喜びを感じるようになった。食を改善すれば人が改善できるのです。日本の食糧自給率は37%まで冷え込んでいます。海外で天災や政治的な意図によって、輸入が止まったら、兵糧攻めで日本人はいなくなるかも?以下の文章は少し、古い記事ですが、ジャーナリスト櫻井よしこさんがお書きになった文章に引用です。(三橋 敏次)

 

2006.01.07 (土)
「 学校給食の改善だけで非行をゼロにした小中学校 教育長が実践した“食育”とは 」

『週刊ダイヤモンド』    05年12月31日・06年1月7日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 623

師走も押し詰まってから、よい話を聞いた。長野県小県(ちいさがた)郡真田(さなだ)町を訪ねたときのことだ。
真田町には、歴史が色濃く息づいている。新幹線の上田駅から町に向かうあいだにも、武田信玄が村上義清を相手に戦い、1ヵ月間も陣を構えてなお落とせなかった、砥石という山がある。信玄が苦労したその山と義清を、真田幸村のおじいさんに当たる真田幸隆がわずか一日で攻め落としたそうだ。かと思えば、佐久間象山が学んだ龍洞院への通い路が、今も山裾を這うように続いている。
日本の歴史が庶民の語り継ぎのなかに生きているこの町は、1,100人あまりの小中学校の児童生徒に地道な、しかし刮目すべき指導を行ない、大成功を収めてきた。第一が、食事に関することだ。町の教育長の大塚貢氏が語った。氏は、教育長就任前は校長を務めていた。
「私が行った学校は、世間でいう荒れる学校が多かったのです。朝礼で子どもがバタバタと倒れる。調べてみると貧血です。授業に集中できずに騒ぎ出す。調べてみると、空腹なんです」
こんな体験を重ねた大塚氏は、意を決して早朝からコンビニエンスストアの前に立った。自宅で手づくりの朝食を食べさせる代わりに、コンビニのおにぎりや弁当を子どもに与える家庭を割り出したのだ。氏は笑って言う。
「探し出してどうしようとか、況(いわ)んや公表するつもりはまったくありません。ただ、子どもたちが荒れるのも非行に走るのも、その背後に、おなかが満たされない、したがって、文字どおり健康な子どもになり得ない実態があると感じましたので、そのことを確かめたかったのです」
直感は当たっていた。コンビニ弁当を多食していた子どもたちと、校内で問題を起こしていた子どもたちがほぼ一致したのだ。そこで、大塚氏は猛然と取り組んだ。学校給食の改善である。基本としてパン食を発芽玄米混じりの米食に切り替えた。育ち盛りの子どもたちのためにボリュームをいっぱいにし、栄養のバランスを考え、そしてなによりも、おいしくした。
「地元の産物を活用したんです。コメも地元、野菜も卵も果物も地元の穫れたて。子どもたちの評判はよかったですねえ」と大塚氏は笑う。
それでも現場では抵抗があった。米食よりもパン食のほうが扱いが簡単だ。生徒の母親たちのなかにも、米食ベースの給食に反対の声があった。そこで、大塚氏らは親たちにも給食を開放した。親たちは昔ながらの家庭の味の給食に納得し、徐々に反対論はなくなった。荒れていた学校が健全な学びの場になった。
教育長に就任すると、大塚氏は町の学校全体で同様の取り組みを始めた。給食は、五食とも米食。モリモリと食べさせ、学校の花壇には皆で花を植えた。土づくりから始まる本格的な取り組みによって、子どもたちは体を動かし植物を育てる、つまり、命を育むことを知った。
「この3年間、真田町では子どもの非行がゼロです。外の人たちはなかなか信じてくれませんが、本当にゼロなんです。しかも、都会の子どもなどにも負けない学力があります。体力も、思いやりや優しさもあります」
全国規模の学力テストでは、真田町の子どもたちの平均学力は抜群に高いという。学校単位でなく、小学4校、中学3校の町の学校全体の平均で、ズバ抜けている。
大塚氏の表情は明るい。学校とともに、さぞかし各家庭も努力を重ねたに違いない。そう言うと、意外な答えが戻ってきた。「お母さんがたのなかには、朝も学校で食べさせてほしいという人もいる」そうだ。おとなを再教育することがいかに難しいか。それでも、学校給食だけでも子どもはこんなに変わってくれる。希望を持ち続けたいものだ。