カネミ油症

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2019年3月28日 – 1968年10月に発覚した食品公害「カネミ油症事件」。 半世紀前には健康被害を訴えていた人が1万4320人もいた。救済の手が伸びず、今も心身の不調に悩む人は大勢いる。

河野裕昭

「最悪の人生やった」 戦後最大規模の食品公害、カネミ油症被害者のいま

3/28(木) 9:13 配信

食品公害「カネミ油症事件」を記憶している人は、もうほとんどいないかもしれない。発覚は1968年10月だった。食用米ぬか油の製造工程で有害物質ポリ塩化ビフェニー

ル(PCB)が混入し、これを口にした人から皮膚の異常や内臓疾患などが続出。肌の黒い赤ちゃんが産まれ、社会に大きなショックを与えた。都道府県知事による認定患者は累計で2322人(死亡者を含む)を数えるが、半世紀前には健康被害を訴えていた人が1万4320人もいた。救済の手が伸びず、今も心身の不調に悩む人は大勢いる。(神戸新聞社/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「この油おかしい」 人生暗転

「ライスオイルを天ぷら油にすると、プクプクと変な泡が沸いてきた。健康にいいと評判だったけど、母が『この油おかしい』って。それを食べてから最悪の人生やった」

兵庫県姫路市在住で、認定患者の渡部道子さん(62)はそう振り返る。小学5年の3月、転居したばかりの長崎県・五島列島で、PCBに汚染されたカネミ倉庫製の米ぬか油「ライスオイル」を口にした。間もなく、お尻や背中に膿(うみ)のある大きなおできができ始めた。

「クラスの半分以上が同じ症状。下着に膿が付くから毎朝、母が(膿を)絞り出して、薬を付けて油紙とガーゼで手当してくれた。弟の背中の膿もよくつぶしてやった。手袋をはめて力を入れると、ぴゅっと膿が飛んだ」

一家4人、全員が油症患者と認定された。

 

原因不明の高熱繰り返す

事件は1968年、カネミ倉庫(北九州市)製の食用米ぬか油「カネミライスオイル」にPCBが混入したことで始まった。当時、油の脱臭工程として、加熱したPCBを循環させていた。そのパイプに穴が開き、油に漏出。加熱によってPCBは強毒性のダイオキシン類に変化し、油を食べた人たちに深刻な健康被害をもたらす。被害者は西日本を中心に広範囲に広がり、国内最大規模の食品公害事件となった。

認定患者となった渡部さんは、その後どうなったのか。

「原因不明の高熱をくり返して入院。がんで右の卵巣を取った時は母が泣いてた。高校も入院ばかりで、行きたい大学はあきらめた。人生変えられて、めっちゃむかつくよね」

渡部道子さんは油症被害者関西連絡会を立ち上げた(撮影:小尾絵生)

35歳くらいまで著しい不調が続いた。今も極端に疲れやすく、病気が重症化しやすい体質を引きずる。

1980年ごろ、長崎県から姫路市に移った。関西の被害者の世話役をしていた父親が亡くなったのをきっかけに、2011年、「油症被害者関西連絡会」を立ち上げる。関西では、患者同士のつながりが弱く、この連絡会ができるまで、まとまった患者団体はなかったという。

連絡会の活動を始めてからも、関西と九州の「差」にがくぜんとした。

「カネミ倉庫に医療費を請求する方法を知っている人がほとんどいないなんて。絶対におかしい」

カネミ油症による被害を語り合った集会=2017年10月、兵庫県高砂市(撮影:小尾絵生)

紫色の赤ちゃん、わずか2週間の生

「紫色の赤ちゃん」が産まれたケースもある。

9カ月の早産で生まれた赤ちゃんは全身紫色。その姿を見た母親はパニックを起こし、気を失ったという。赤ちゃんは母乳ものどを通らないまま、わずか2週間で人生を終えた。

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