笑顔になれる法話

笑顔は世界のパスポート

オートバイが昼間ライトを照らしてるっておかしくない?明るいし、もったいないよ。私もそう思っていた一人でした。ライトをつけるのは、自分の身の安全を守るためなのです。車は後ろから迫って切る交差点付近では、一瞬バックミラーの視界に入らない危険ゾーンがあり、その時は全く後ろから来たオートバイは見えないのです。しかし、ライトをつけていれば、接近するオートバイの存在と見つけやすくなるのです。事実、オートバイの昼間点灯によって、交差点でも接触事故が少なくなっているのです。

病気でつらい、看護婦さんを呼ぶ、こない。イライラする。やっときた。顔を見るなり怒鳴りつける、何回押してもこない。私も介護の現場で夜勤のストーマの清掃やおむつ交換などをやってきた。部屋に入るなり、臭い、怒られる、たまったものではない。仮眠時間の2時間でも、寝られないし、そのうちダブルでベルがなりもうパニック状態になったこともある。私は、母を尊敬している。特別養護老人ホームに3か月おせわになったが、食事が出てきても、ありがとう。会いに会っても、ありがとう、痴呆が進んでいたが、この言葉だけはバカの一つ覚えのように

しか言わなかった。美味しかった。ただ、それだけで、どれだけ救われたかわからない、笑顔は、自分に為なんだ、自分が笑顔でいれば、近くの人も笑顔になり、みんな笑顔のなれる。盥の水は、真ん中に手招きすると、左右の縁を伝って逃げてしまうが、自分が笑顔を盥の縁にそって

振り撒けば、真ん中から笑顔が帰ってくる。

私が、介護の道に入ったのはやむにやまれぬ理由からで、末っ子でまかされてしまってなんとなく、いやいや、だから父とはいつもけんか腰だし。だけど、臨終の少しまえに、ひげをそってほしいと連絡があった。部屋に入ると、兄二人がベット際にいた。父は、着くなり敏次でなけりゃダメだといって、ひげをそった。電気バリカンでチャチャっとやるのは、大嫌い。石鹸をといて、シャボンをつけて剃刀でないと納得しない。そり終わって、そっと離れると血をドバっとはいてそれが詰まって亡くなった。母の時は、そうとうになれたが、母の着替えやお風呂はなんとなくしたくはなかった。

イランのフセインを逮捕するために、アメリカは軍を送った、当初3か月で逮捕の予定が、1年たっても捕まらない。裏穴、抜け道、部落の拒否。あるとき、アメリカ軍がある町にやってきた。この村に、フセインはいるか?いない?でも信じられない、銃口の先には酋長がいた。酋長はいった。まず武器を置きなさい。武器をすべておいたなら、村を調べても構わないが、私がいないというのだから、時間も金も兵士も疲れるだけだ。軍の司令官が、酋長の顔をじっと見ている。酋長はアメリカの司令官に笑顔で答えた。私の笑顔の中にウソが見えますか。その部落の操作は15分で終わった。人はウソをつきながら笑い事はできない。泣きながら笑い事はできない。笑顔は心でしかできない。(三橋 敏次)

 

 

 

 

 

 

 

 

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