笑顔は最高のアクセサリー

林さんは、世界一大きい釈迦涅槃像のある福岡の南蔵院の住職で、宝くじの大当たりで話題になったこともあるので、ご存知の方もいるかも知れませんが、毎年、全国各地で200回もの講演を行うほどの人気住職である。宝くじが2回当ったお寺として、私も真っ先にお伺いして100円の宝くじお札を買いましたら、なんと5000円当りました。たったこれだけ、がっくりきた

戦後間もない頃、日本人の女子留学生が一人、アメリカのニューヨークに留学した。戦争直後の、日本が負けたばかりの頃なので、人種差別やいじめにもあった。そして、とうとう栄養失調になってしまい、体にも異変を感じ、病院に行ったところ、
重傷の肺結核だと言われた。戦後まもないころ、肺結核は死の病と言われた。

思い余って医者に、どうしたらいいか聞いたところ、「モンロビアに行きなさい。そこには素晴らしい設備を持ったサナトリウム(療養所)があるから」と言われた。

飛行機がまだ発達していない時代、ロサンゼルス近郊のモンロビアは、ニューヨークから特急列車で5日間もかかる距離だった。

当時、汽車賃さえない彼女は、死ぬよりはましだと、恥ずかしい思いをして、知人や留学生仲間に頼み込み、カンパしてもらって、列車のお金を集めた。しかし、食料までは手が回らず、3日分を集めるのがやっとだった。

治療費は、日本にいる両親が、家や田畑を売り払ってもなんとかするから、という言葉を証明書代わりに、列車に乗った。
列車では、発熱と嘔吐が続き、満足に食事もできなかったが、それでも、とうとう3日目には、食料がつきてしまった。

そして、なけなしの最後に残ったお金を出し、車掌にジュースを頼んだ。ジュースを持ってきた車掌は、彼女の顔をのぞきこみ、「あなたは重病ですね」と言った。彼女は、「結核となってしまい、モンロビアまで行く途中ですが、そこまで行けば、もしかしたら助かるかもしれない」、ということを正直に話をした。車掌は、「ジュースを飲んで元気になりなさい。きっと助かる」とやさしい言葉をかけてくれた。翌日の朝、車掌が、「これは私からのプレゼントだ。飲んで食べて、早く元気になりなさい」と言って、
ジュースとサンドイッチを持ってきてくれた。4日目の夕方、突然車内に放送が流れた。

「乗客の皆さま、この列車には日本人の女子留学生が乗っています。彼女は重病です。ワシントンの鉄道省に電報を打ち、会議してもらった結果、この列車をモンロビアで臨時停車させなさいという指令がきました。朝一番に止まるのは、終着駅のロサンゼルスではありません」これは、現在で言えば新幹線を臨時停車させるくらい大変なことだ。

次の日の夜明け前に、モンロビアに臨時停車し、他の乗客に気づかれないように静かに駅に降りたところ、
そこには車椅子を持った看護婦さん達が数人待機していてくれた。

車椅子に乗せてもらい行こうとしたら、なぜか列車がざわざわしているので、振り返ってみてびっくりした。
一等、二等はもとより、全ての列車の窓と言う窓が開き、アメリカ人の乗客が身を乗り出して口々に何か言っていた。

最初は、日本人である自分に何か嫌なことを言っているのかと思ったが、そうではなかった。名刺や、住所や電話番号を書いた紙切れなどに、ドル紙幣をはさんだものが、
まるで紙吹雪のように、投げられた。

「死んではいけない。きっと助かるから、安心しなさい」、
「人の声が聞きたくなったら、私のところに電話をかけてきなさい」、
「手紙を書きなさい。寂しかったら、いつでもいいよ」と口々に声をかけてくれていたのだ。

彼女は、4.5メートル先に停(と)まっているはずの列車が涙で見えなかったという。

結局、3年間入院したが、その間、毎週毎週、見知らぬアメリカ人が見舞いに来てくれたが、これも列車の乗客だった。

そして、3年間の膨大な手術費と治療費を払って出ようとしたら、乗客の中の一人のお金持ちがすべて匿名でお金を払った後だった、という。

『であい』南蔵院講演CD

これは、犬養毅(いぬかいつよし)元首相の孫で、評論家の犬養道子さんの若い頃の実話だ。

今も昔も、名もなき一般の人たちの善意や思いやりは、人の心を打つ。
このひとたちのことを、アメリカでは、コモン・マンというそうだ。

なにも、お金持ちの大きな寄付だけが、善行ではない。
持ち場持ち場、立場立場で、その人のできる限りの思いやりをしめす。

人の無償の善意にふれたとき、人は涙する。

規則は破っても、人を助けなければならない時がある。感動や感激は、急には生まれない。

智恵遅れの美子ちゃんはもうすぐ、18になり施設を出なければならない。お金の使い方を教える為に1週間に一度500円を条件に付き添いの人と買い物をする。お金を手にすることはできない。ある日、10円が欲しいというので500円を渡した。美子ちゃんは不機嫌で理由が分からなかった。ある日、ピンク電話のまえで泣いていた良子ちゃんを見つけて、10円を差し上げた。すぐさま電話をかけた。そこには、大好きなお姉ちゃんとの会話だった。良子ちゃんにとっては、電話するのには10円玉の方が価値があるのだ。大人は自分の感覚で、上から目線で金額が多いほど喜んでくれると思っている。これは、普段の美子ちゃんの行動をやさしく見る目がないと分らない。いつも、同じ本をかかえている。いろんなものを読まないと、ダメ。大人は取り上げようとする、返す日がきてもはなさない。彼女にとっては、返す日なんて関係ない。大事なものは大事なんだ。とりあげるのをやめて、美子ちゃんに寄り添ったら、ある日自分より小さな子にその本を読み聞かせていた。こころを込めてやさしそうに、決してアナウンサーのように、すらすら話せないしどちらかと言えば下手。だけど、それを一生懸命聴いている健太の目はいつもより輝いていたし、あんなすばらしい2人の笑顔を今まで見たことがない。しばらく、すると二人とも寝入ってしまった。黙って見ていると良子ちゃんは、毛布を持ってきて添い寝していた。その時初めて、学園で14年過ごしていつも叱っていた自分が許せなくて、涙が止まらなかった。(三橋 敏次)

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