介護雑感39
マザーテレサの言葉に、愛の反対は憎しみではなく無関心{無視}であるとい
先週、介護施設に一人の老人が入所をされました 家族との会話はほとんどなく重い認知症があり、足取りも、
入所して2週間、ほとんどの介護士は、その方の最低限の仕事はするけど、要望については、「はっきりできません!」いうしかないのです。事実、ゆっくり話を聞いてあげて、その方がどうすれば希望が叶えられるか考える余地は、申し分けないのですが、時間的にもとれないのが現状なのです。夜勤は、夜の利用者10人に対して一人しかいませんし、緊急が発生すればなおさらなのです。
私達、介護士は無視や無関心ではないのですが、結果そううけ取られてもいたしかたい面も正直あります。みんなが、相手にしなくなるにつれて、認知がさらにすすみ、またまた相手にされないという悪循環です。そのうちに、口数も極端に減って、目もうつろ、まだら惚けの状態で大変なのです。食事が終わってすぎ、ここでは、食事はたべさせてもらえない?とか、家からもってきた、スーツがないとか?お金がない?買い物に行きたいけど、何時から開くの?彼の話は、来ていれば彼がつかれて眠るまで、コミュニケーションがとれないのです。いよいよ自分の希望を叶えないのは、貴方が悪いこととなり、
彼は、まだ70ちょっと過ぎたばかりで、食事は完食ですし、体重も70キロオーバーを維持しているので、認知症が進むとますます大変です。(お風呂や、トイレ介助は女性は2人がかり。)認知症は、発症からの生存年数は平均5ねんという統計データがありますが、勿論10年異常施設で生活している人も。痴呆がすすみ、自分がわからなったほうが、恥じらいも、記憶もなくなるのですから、本人はひょっとして死への恐怖さえ感じないのかもしれません。
なにしろ、認知症の方は増えつづけ、施設に入れない人が増えつづけ、家庭内介護では、老老介護や金銭の問題など山積みなのです。
生活弱者がより、困窮して生活基盤がなくなることは、将来の日本にとってマイナスなわけですから、今一度真剣に、元気な内から
家族や大切な友人が介護にならないように、そのために日々どう生活すべきか真剣に考えるべきだと思います。
食養生指導士 三橋敏次 2021-9-6