介護雑多31

自己破産は、介護のせい?
 
きょうは、あきの彼岸。今迄、自己破産と介護については、触れたくもなかった。だけれども、この記録は私しか書けない。
 
家庭裁判所で兄達を訴えて、残した代償はあまりにも大きい。当然、母の葬式で、兄弟はそろったが、その後は、私は一切の連絡もしていない。もう、自己破産から25年が過ぎた、しかし、今もその影響にもがき苦しんでいる。しょうがない、自分の性格でそうなっていまったのだから。いま迄は、私は絶対に間違えていない。兄がゆるせない、ただひたすらその思いが強くて、夢にまでくるしめられてきた。
 
介護の仕事を選んで、「使われるのが大嫌いで、どこにいっても退職金はもらったこともない、つまり、上司と喧嘩して、バイバイ。今でも、私の主張は正しかっと自信は持っている。」しかし、お金がなくって、家内とも、随分喧嘩したし、介護前に3800万あった両親のお金もスッカラカン。私の800万も、消えた。いつまでも、我を張って生きることに正直疲れてきた。
 
私が介護に、導かれたのは、これも縁なのだろう。いろいろの家庭を観てきて、やはり反省すべきは、反省しようと、思い至った。これは、「神が私にあたえた試練であり、万人につたえよ。」との導きであろうか。父母の歴史についても、一切忘れようとしてきた、いつなくなったのか?日にちさえおぼえていない。よく、月命日ということばも聞くけれど、わからないから、手を合わせたこともない。
 
介護をやってわかったことは、先祖の供養は、自分に生きる「力」を与えてくれる唯一のものてあるということ
 
人生で、初めてちちは母を記録し、私のような失敗を繰り返さない為に、まなんでほしい。
 
今、両親の前にいて、墓石に記された戒名を見ている。三橋美治三橋ナヲ
父親  晃岳治道信士
    平成14年5月19日
    俗名  三橋美治
    大正5年2月2日生まれ
    行年  85才
 
母親  壽光妙尚信女
    平成28年1月7日
    俗名  三橋ナヲ
    大正10年1月27日生まれ
    行年  94才
 
おじいちゃんは、このお墓の側に立つ木の下にもう土に。小学生一年生の時には88で亡くなったと聞いている。無くなる2年前に、両親が、実家からリヤカーに莚をひいて、連れてきた。養子で実家の製麺所とはうまくいかず、捨てられた。祖母は、立派なお墓なのに、じいちゃんはいれてもらえず、寺に内緒で土葬。父親は、何年後て寺に詫びて自分のお墓をその木の側に建てた。その時に、掘り起こしかが、骨はみつからず、一握りの砂を骨壺を入れる洞にまいた。喘息持ちで、包丁もってこい、と怒鳴り声が今でも耳にのこってる。五円紙幣と木の薬は、ぼくの宝物。
 
つづく
 
両親を感謝を意識したのは、多分あの時が、ピークだろう。確か、朝日海外エージェンシーで、上司から激しくしっせきされて、マカオから単身帰って、団地に引きこもりした時、帰りの飛行機で、退職を決めその日から一切誰とも、接触しなかった、10日間くらいは、朝から番まで自宅の電話は10回以上は、鳴っていた。なぜか、怖くて、あの上司が家に怒鳴り込みで、ぶん殴られるんじぁないか?とびくびくしていた。11日の11時に玄関のピンポンがなった。両親だった。会社は、当然のことながら、家に電話をしたようす。とっさにヤバいと感じたが、極めて冷静にどうしたの?なんかあった?聞いたら、母は、げんきなの。大丈夫なの?その一言で、叱られた記憶はない。三人で、食事をしたが、その時も、仕事のことは、そんなに触れられた記憶はない。なんと、両親ともに、正装して、バリッとしていたのは、いまでも鮮明に覚えている。勉強しろとも、言われたこともないし、叩かれた記憶もない。貧乏だったけど、正月前は大お掃除、餅つきをして新しい年を迎えた。私は三男で、学校も仕事も一人で決めた。36才で団地を購入し、44才で、結婚。それも、何も言われないし、勝手に決めた。
 
小学校の時に、汽車にのって家族で房州の小湊まで5人でいった、後にも先にも家族全員で旅行した記憶は、之しかない。千葉からは蒸気機関車で、トンネルでは煤で顔が真っ黒に、鯛ノ浦で船にの乗ってタイの群れをみたことと、旅館でかしこまって料理を食べた事を鮮明に覚えている、父は生涯国鉄マンで電車のブレーキとパンタグラフの整備責任者だった。これも一度、お弁当を届けに行ったと時に、仲間が大歓迎してくれて、整備中の電車を見学させて貰った。母は、僕が高校生の時に、センター競馬場で馬のお世話をするばていさんのお世話とオートレース場の売り場をやったが、ほとんどはいつも家にいて、畑仕事や家のことに精一杯働いてくれた。減
 
なぜ、自己破産したのか?私の性格のがんこゆえ。この話をすると、おまえは末っ子なのだから、もっと兄たちを敬い,譲るべき意見は
譲り兄弟うまくやればよかったと助言される。お金はほんとうにくやしい。でも、今不幸かと問われれば、決して不幸ではないと自信をもって言える。
今度、生まれ変わっても、私は同じ失敗をするに違いない。それより、生まれ変わりなんで信じないで、今の今を大事に生きることの大切と思う。