介護雑感19

満点介護ってなんだろう?
 
よい介護ってなんだろう。私の介護は、型破り。おかしいですか?
 
 
介護に、完べきな介護とか?安心安全な介護はない。
 
考えてごらん、野生のチーターは、年だから薬を飲む?手術しないでしょ、それを、考えてなら、人間の方が間違いじぁないの?施設に長年入れられて、拘束され、死ぬことも、許されず。反対に、若い人は、病気でも、休めない?保険は高い。おかしいと、おもわないのが、おかしい。
 
 
決して、無理強いはいない。食事も、食べたくなければ、たべなくていい。薬も、飲みたくなければ、飲まなくていい。果物は、野菜は、施設ではほぼ出ないけど食べたけりゃたべればいい。歩きたくなかったら、歩かなくていい。
 
今は、コロナで家族はお断り、面会の為のガラスの部屋などないし、とにかくこないで。面会はできません。認知だから、みんな家族にすてられたと、勘違い。それで、認知しょうはすすむ。家族の気持ちは関係ねぇ。
 
面白もので、本当に自分で歩きたいと思う人は、痛くても、辛くても、毎日自らリハビリに歩いている。孫の顔を見るまで、しねないと思うなら、がんばれる。
 
わたし、父や母にやれる事は!なんでもやらせた。驚く事があった、私が44歳で結婚した時、父親は80歳で、毎週二回5
時間の透析、最大3日間しか持たない。けれど、家内の両親の墓参りに台湾高雄に行きたいと。死んでもいい。その言葉を聞いて本気になった。主治医は、勿論反対。たけど、親父はそれで諦めるような人間でない。千葉医大の医者とも、喧嘩して家に帰った人である。狭心症の検査入院といわれ、冠動脈の撮影時、軽い心筋梗塞を発症し急遽停止。そんなこともあったっけ?結局、万が一をかんがえ、台湾での透析の許可をとって、出発。ギリギリ4日目の朝に、帰国して透析。なんと、なんと両親は丸3日高雄旅行を楽しみ元気になった。それから、半年、孫が、うまれ、その一年後、次男誕生。乳母車に乗せて、散歩。私は、それとなく遠くから見ていたが、全くもんだいない。父親は、結局孫の顔が見たくて、その意識があってがんばれた。医者は、奇跡だといったが、私は何とも?
 
亡くなって、段ボール箱にいっぱい薬がへ残っていた、面白いことがある。腰がいたいと毎回毎回湿布薬をもらって来るけど、
もったいないから、古い順番に使っていた。古いから、湿布は乾燥ぎみだし、メントールの匂いもほとんどない。ようするに、新しい時は、湿っていてスーとする匂いがあるけど、ない。でも、古いものが好きなのか、腰がいたくなると、貼っていた。
 
父親も母親も、医者はちゃんと、時間と守っていた。薬は、毎回ちゃんともらって優等生?
 
すべて、わたしのやり方がいいというのではない、父も母も、亡くなる前には、骨折をした、父は、二階の子供部屋には80を、越えて行ったことはなかったが、魔が差したのが、階段でころび、鎖骨を折り、母は、トイレの出口で転倒し、大腿骨骨折でボルトを二本埋め込んだ、
 
兄達は、弟の不注意だと責め立てたてられたが、何でも言える。私は、これも、運命と思う。だから、そんなに慌てなかったし、救急車を呼んだ時も、自分でも驚くくらい冷静だった。
 
私は、父も母も尊敬する。介護するば、だれでも、「ありがとう」と言葉をかけていた。
 
人は、いつかは命はつきる。兄や兄嫁になじられても、これでいいのだ、と思う。
人は、人。言わせておけばいい。
私は、仕事では、きちんと薬を飲ませ、食事介助して、しっかり無理強いさせている。介護記録を見ると、なんとなんと1年前より、元気になってる人はいない。
 
自分に正直に生きたい、けどできない。
いやいや、私が、間違いがっているのかも、知れない。そう、いい聞かせて、自分を正当化させている。
 
 
 

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