玄米論争の歴史

  戦争中、東条英機は議会で「国民の主食は玄米にしろ」といい、勝子夫人は銀座で「玄米を食べましょう」というチラシを配っていた。その時、当時軍用食糧に携わっていた川島四郎は「玄米は不適当」と書いて、東条にに呼ばれ、「お前が抵抗するということは陸軍刑法の命令干渉だ。」そう言われ、命をかけて論争した記録が 残っている。あなたはなぜ、玄米がいいのですか?その理由は食べられる糠を捨てyjimage (15)てしまっては量が減るという理由であった。しかし、川島は言い返した。糠は捨てません。人間は糠を食べても消化しません。糠は軍馬に食べさすゆえにい一粒たりとも無駄にしません。次に米を炊くのに水も燃料も2倍かかります。そして、よく噛んで味わえとおっしゃるけれども。戦時中の忙しい最中にみんなが食事に時間をかければ、兵器弾薬の製造に支障をきたします。飯盒も熱効率のアルミが良いのですが、資源も予算もありません。東条はしばらく考え込んで「わかった。わかった。世の女どもは。陸軍大臣のいうことよりも、貴様は農学博士だから、お前の言うことを聴きよるからもうこれ以降玄米の悪口をいうな、」とおっしゃった。

 戦後は、アメリカが小麦戦略を推し進めたため、玄米・白米の論争が鎮圧され、パンと白米という概念が定着してしまった。香川栄養学校の香川夫妻は、玄米の普及に尽力されていたが、アメリカからの寄付を受けて学校を創設させた際には、小麦やフライパン料理を推奨した。当時の厚生省の栄養課長は、アメリカの支援はありがたいが、これほどまでに小麦が日本の生活に定着させてしまったことは誤りであったといわざるを得ないと述べている。アメリカ農務省の長官は、戦争が終わってだぶついた小麦をの日本に定着させるのは、簡単だった。こんなに上手くいくことは意外であったと述べている。アメリカの食糧輸入なくして、日本なし。かって、ドゴール大統領は「独立国家は、食料自給できなければならない」と述べている。

 しかし、現在は炊飯の問題も解決し、栄養価も、玄米の方が優れていることは科学的にも証明されている、しかし、おいしい白米をたべることに慣れてしまった日本人は、頭の中でわかっていても、玄米を実行している人は3%程度だと推察される。セミナーでは、声を大にして玄米を食べようと叫んで、受講者もわかったような顔になるので、うれしいのだが教室の外にでたら、ほとんどの方が忘れている。玄米にしたって、主人は早食いだから、胃腸をこわすのではないか?子供は食べない。せっかくの活動が伝わらない、ところで、今は白米を食べながらでも玄米を食べた以上に栄養価が評価されているものがある。食後に玄米酵素を食べる方法である。

 玄米は日本を救う。小麦文化は砂糖やバターといった乳製品が中心、白米に焼き肉や鳥の唐揚げ、子供の好むものばかり食べている生活が生活習慣病を増大させ、医療費の増大を招いていることは間違いない。玄米は、いつでも日本の主食でなければならない。日本人の正しい食生活を実行すれば、医療費は格段に抑えられる。