秋はなし?

ゆるキャラでおなじみのふなっしーは梨の妖精で、船橋市の非公認キャラクターです。
彼のお陰で、船橋の梨は売り上げが伸び、今や海外輸出もされている農産物です。

梨の思い出はみなさんおありだと思いますが、私は小学校の秋の運動会で両親と一緒にたべた梨、町内のお祭りで山車をひき太鼓をたたき、納戸で休憩でいただいた梨の味が忘れられません。そこそこの、貧乏生活だったのでハレの日にしか食べられなかった記録しかありません。ただ、それだけにあの日のことは忘れません。私は、運動会のかけっこで一番になったことは一度もありません。でも楽しい思い出ばかりです。フォークダンスでは、なぜかしら、好きな女の子の前で音楽が終わり、その後退場行進でお互いに不服そうな顔を見つめて、それでも仲良く手をつないでいつも引き下がるのです。

身土不二、日本にはすばらしい四季がある。それぞれの季節にそれぞれの果物がなる。今、いろんな変化が? 国内の果物消費が減り、海外からの輸入ものものが支持されている。マンゴーやキーウイ、バナナ等南国の果物が多くなって、しかも通年出回るようになった。果樹園の高齢化が進むと同時に、収入も落ち込み廃園も多くなっている。なんと、地球温暖化の影響で、りんご等の寒冷地が温度が上がり、収穫量も少なくなっている。反対に高級な梨や果物は輸出されている。日本人は、安くて便利なものを海外から求め、高品質の果物(糖度の高いもの)は輸出され、日本人の口には入りにくいという現象が起きている、スイカは中東諸国で、富裕層に浸透しており、日本円換算で1万ものスイカが売れている。果物を美味しくいただく原理原則は、取り立てをガブリ

今は幸水、豊水、等品種改良されたものが主流ですが、私は最後に出回る長十郎が一番好きです。武骨でがんこで
あまり甘くはないのですが、これが梨という感じが大好きなのです。「長十郎」は100年以上前から栽培されている赤梨です。1893年(明治26年)頃に神奈川県の大師河原村(現川崎市)の梨園で当麻辰次郎氏によって発見され、当麻家の屋号と同じ「長十郎」と名付けられました。味がよくて多産であったことから一躍人気品種になり、大正初期には6割のシェアがあったともいわれます。現在は生産量がわずかですが、根強いファンがいます。20世紀前半は二十世紀と長十郎が生産量の大半を占めていましたが、太平洋戦争後になると1959年に幸水、1965年に新水、1972年に豊水の3品種(この3品種をまとめて「三水」と呼ぶこともある)が登場し、現在では長十郎の生産はかなり少なくなっています。売れないものは、作れない。これも時代の流れですが、全ての果樹が糖度によって価値が語られるのは残念です。長十郎は取り立てが一番、パキッと割れるその音、噛みごこち、野性味がいい。長十郎はやはり取り立てに限る。ほどよい甘味がありみずみずしさのある梨です。サイズは250~300gくらいで、収穫時期は9月中旬頃か果皮がほどよい褐色で、大きさのわりにずっしりと重量感が感じられるものがおすすめです。

 

梨の歴史

日本でナシが食べられ始めたのは弥生時代頃とされ、登呂遺跡などから多数食用にされたとされる根拠の種子などが見つかっている。ただし、それ以前の遺跡などからは見つかっていないこと、野生のナシ(山梨)の自生地が人里周辺のみであることなどにより、アジア大陸から人の手によって持ち込まれたと考えられている。文献に初めて登場するのは『日本書紀』であり、持統天皇の693年の詔において五穀とともに「桑、苧、梨、栗、蕪菁」の栽培を奨励する記がある。記録上に現れるナシには巨大なものがあり、5世紀の中国の歴史書『洛陽伽藍記』には重さ10斤(約6キログラム)のナシが登場し、『和漢三才図会』には落下した実にあたって犬が死んだ逸話のある「犬殺し」というナシが記述されている。

江戸時代には栽培技術が発達し、100を超す品種が果樹園で栽培されていた。松平定信が記した『狗日記』によれば、「船橋のあたりいく。梨の木を、多く植えて、枝を繁く打曲て作りなせるなり。かく苦しくなしては花も咲かじと思ふが、枝のびやかなければ、花も実も少しとぞ。」とあり、現在の市川から船橋にかけての江戸近郊では江戸時代後期頃には、既に梨の栽培が盛んだった事がわかっている。

明治時代には、現在の千葉県松戸市において二十世紀が、現在の神奈川県川崎市で長十郎がそれぞれ発見され、その後、長らくナシの代表格として盛んに生産されるようになる。一時期は全国の栽培面積の8割を長十郎で占めるほどであった。また、それまでは晩生種ばかりだったのだが、多くの早生種を含む優良品種が多数発見され、盛んに品種改良が行われた。

20世紀前半は二十世紀と長十郎が生産量の大半を占めていたが、太平洋戦争後になると1959年に幸水、1965年に新水、1972年に豊水の3品種(この3品種をまとめて「三水」と呼ぶこともある)が登場し普及した。そのため、現在では長十郎の生産はかなり少なくなっている。

(食養指導士 三橋敏次 拝)