躾は家庭の食卓から

  タクシーを乗車して、運転手さんに道を指示するときに私はいつも迷ってしまって混乱する、こっちが箸を持つ手だからこっちが見ず右。よしこっちだ。時間がある時は、余裕があるが小さいときから苦手だ。電車でも次の駅では右側のドアーが開きますと聞いても、右側のドアーに近くにあるのは、左手で?
地図や高低差は難なクリアーできるし、時刻表も大好きなのに右左だけは不得意である。

 そして、父の顔を思い出す。左ききはダメだ、いつも食事の前に箸は右、茶碗は左、それが大人になってトラウマになってしまった。食事は、いつも家族団欒、ご飯は父から、いつもだまって正座して食べていた。箸でふざけたり、遊んでいるとすぐに注意された。だけど、いつの間にか箸の躾を覚えていた。
渡り箸、移り箸、涙箸、そら箸、かみ箸、重ね箸、かきこみ箸、迷い箸、佛箸、刺し箸、かき箸、たたき箸、つくね箸。寄せ箸、違い箸、二人箸、握り箸、などなど・・・ yjimage (8)

 日本のお米文化は、こどもの躾を言う観点からもすぐれていると、私は思う。今日は、割りばしについて考えたいと思う。割りばしは日本では間伐材を使用しているから、木材の有効利用であると思われてきた、しかし、中国では違う、ロシアの方にまで入り込んで木を伐採し、地球の温暖化につながっている。輸入割りばしは、日本の消費の97%を超えてきた。問題は森林伐採にとどまらず、竹のカビを防ぐために防腐剤加工がなされている。中国の竹箸を金魚鉢にいれると、たちまちのうちに死んでしまう。すべて竹箸がきけんとは断言できないが、使わないことにこしたことはない。最近、一部の飲食店ではリユースの箸を使うところが多くなって、だんだんと抵抗がなくなってきている。また、ほんの一部ではあるものの、マイ箸を持とうという運動も行われている。

 先日、ある老人ホームで長年使い慣れたお茶碗とお箸で食事をするという催しが行われた。いつもの
均一のプラスチック容器と違って、おかずの一品一品がいつもよりおいしそうに感じられる。召し上がっているお年寄りの顔もいつになく笑顔のような気がする。室内には古いオルガンがおいてあったり、なんとなく心なごむ工夫がされている。
 私は、食養指導士として早速この話を、こうあるべきだと得意げに話をしてしまった。終了後、3人の実際に施設を運営している実務担当者から、あなたは話だけでいいが私たちは、日々忙しくて、そのようなことまでやる時間的な余裕は一切ない。反対に予算が許されるなら、すべて廃棄できるような仕組みであってほしい。との話を聴いた。時々、ボランティアに来てくれる方も1日だけの体験を通じて、毎日童謡をとか散歩したほうがとか、いろいろアドバイスをいただいているが、自分達は介護のプロといて、全体に責任を負っている。私は、自分の行動が恥ずかしくなったと同時に、素直に意見していただいた3人に感謝している。食育って難しい、だけど、私は少しでも食育を通じて日本人が成長してくれることを願って活動をしている。

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