サンマはどこへ行ったやら

かって、北海道小樽にはニシンが取れすぎて、魚醤も作られていた、現存するニシン御殿が日本家屋の神髄を物語っている。一番取れた時期には、浜一杯にニシンが溢れていた。今では写真だけでその面影は全くない。
庶民の味、秋の秋刀魚が取れない。火だるまのさんまを妻が食はせけり、作者の秋元不死男は、妻の下手な焼き方を嘆いているのではない。くろぐろと焼けた秋刀魚はサンマらしく無骨だ。大根をばさっとかけて醤油もまたばっさとかけて、丸ごと口に放り込む。これがうまい。サンマは炭火の火だるまに限る。昭和52年に75歳でなくなった秋元にとって、まさにサンマは庶民の味であった。豊漁だと一貫(3.75キロ)あたり10円まで下落した記録もある。北海道厚岸町の漁港で初水揚げがあった、初売りでは1キロあたり、11880の値がついた。先日の流し網では、初セリが1匹5980円であった。
漁獲高の減少について、海水温の上昇によって回遊ルートが変わったと考えられる。中国や台湾の乱獲も関係ある、しかし、見えない海の中で今、サンマはどうしているのだろうか?昨年の水揚げは、最盛期昭和33年のなんと10分の一にまで落ち込んでいる。秋の味覚松たけは絶滅危惧種に。秋元の友人であった橋本夢道が終戦後の食糧難の時代に読んだ句がある。東京や働けどサンマも食えずなりはてし、サンマをくいたしされどさんまは空を泳ぐ。サンマの味を忘れてだだただ空を見上げる秋。ああ、サンマは食いたい。
作家の永六輔さんは、死立ちの食前には、炭火のサンマに限るという言葉を残している。サンマが食えなくなったら、死んでもかまわない。

(食養指導士 三橋 敏次 拝)