7月21日に埼玉の礼拝所での様子を「酒井 雄哉大阿闍梨の言葉 -3 「観念」」にUPしましたが
=こちら=
この礼拝所で、 「比叡山・千日回峯行 酒井雄哉画賛集 (小学館文庫)」を頂いてきました。
原本は2001年に出された「比叡山・千日回峰行 酒井雄哉画賛集」です。
阿闍梨が自筆で色紙に書いた三十二の文に寺田氏の画が書かれ、本書を企画した滋賀県の「夢・同人」の細溝氏の阿闍梨や比叡山などにまつわる文章が1ページ書かれている。
その画や賛の前に酒井 雄哉大阿闍梨のなんとも穏やかなお顔があり、そこに言葉が書かれていました。
のどかな風が吹いてくれば
穏やかに広がることを祈る
人々をひきつけてやまない
阿闍梨さんの魅力は
いったいどこにあるのだろうか
今日の画と賛は
食事は
一日二回
画家のことば から
井戸と自転車
伝教大師が生まれた時の産湯の井戸として名高い伝説の地、生源寺。
京阪電車、坂本駅前の寺である。
寺の広い境内で、子供達が遊んでいた。夏の暑い日の午後だった。
門前町坂本は天台宗総本山の玄関口として信仰が息づく里でもある。
(生源寺 京阪電車坂本駅下車すぐ)
「夢・同人」の細溝氏のことば から
千日回峰のうち、七百日までは自利行という自分が不動明王に近づくための修行をする。
その内の百日につき一日だけは、利他行といい、人の為に祈る修行をする。
七十五日のこの日、「京都切廻り」をする。
この日は比叡山を下り、京都市中四十五キロを行をしながら歩く。
多くの人々が沿道にひざまづき、首を垂れて阿闍梨さんの御加持を待つ。
不思議にこの日は便意を催さないと阿闍梨さんはいう。
千日回峰行中でも最高に体調が良いときは何日も便意がない。便その物が体中にないのだという。
阿闍梨さんは日に二回、そば、うどんやじゃがいもを主体とした食事。
人間は、いや、生物はすべてその生存を維持するために他の生き物の命を犠牲にしている。
ことに現代の私たちは、命を永らえるために必要な食糧以上に、過剰に食べ物を摂取している。
それが他の生物の命を奪っている行為だとは、少しも思わない。命を永らえる食べ物を与えて
くれる自然に感謝をし、生きるために最小限の食事であっても、本当は贅沢なのではないか。
日に二度の、私たちからは粗末に思える食事を感謝をもっていただく阿闍梨さんの姿に、食べるということの意味を教えられる。
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