いただきます

先日、町内の子供会で笑いヨガの講師として招かれる機会があり、私は食養指導士でもあるので終わりに、これからみんなにすばらしいプレゼントがあります。ただし、きちんと「いただきまーすと手を合わせて、元気な声を出さない人にはあげません」と言って会を終わった。circle_08

さて、隣の会場にはすでにお母さんが用意してくれたサンドイッチや唐揚げウインナーなど子供の喜ぶ物が山ほど用意されていた、関心なことに、公民館でありながら、使い捨ての紙皿やフォークではなくてそれぞれの素材を生かす器やお皿の盛り付けされていた。後から、伺ったらリーダーが相談してお皿をわざわざ集めて車で運んでいただいたようだ。お箸もリサイクルと言いたいところだけれど、箸は素敵な紙袋にはいった割りばしであった。リーダーが「さっき。先生から教えていただいた、いただきまーすを毎日ちゃんと手を合わせている子は手を挙げて下さーい。といいましたら、30人位いた子供の内10名位の子が手をあげました。この中には、たぶんお調子者が何人かいるだろうからホントはもうすこし少ない気もするが?でも、今だけは全員が頂きまーすと元気な声で手を合わせていただいた。170712hay

1時間がすぎて、食事をすべてかたずけてから、プチケーキと巨砲ブドウとマスカットの5粒、驚いたことに、こちらもすてきなお皿とケーキ用のフークがついて、フルーツはガラスの容器に入っている。お皿はゴミを出ささい。素材を引き立たせる。雰囲気が豪華になる。丁寧に扱うようになるというような効果により、子供の心を育てる。

はい、会もそろそろ終わりに近づきお母さんの姿をじーーと観察させていただきた
良子ちゃん、もう帰る時間だから急いで食べなさい。良子ちゃんは、お腹いっぱいのご様子だっからお母さんにうながされて完食。ばんざーい?
だまっているお母さんは、ケーキが2人とも残っていたが、食べるでもなく、持ち帰るのでもなくそのまま会場を後にした。
また、最後まで手伝ってくれた年上のかたはさすが、残り物すべてをお皿に並べ替えて、ケーキはラップにかけて。それぞれに、差し上げた。

残されたものは、割りばしとぶどうの皮だけ。(ブドウは何粒じゃ残っていたが、台所にあった分と合わせて、残っていた人で食べたので)みごとに、ゴミは一握りに。皿洗いも8人でおしゃべりしながら、たのしい時間に変わっている。みんなで、食べて、皆でかたずける。きょうの、この会は笑いヨガもさることながら、子供さんたちのこころに隅に思い出として残ってくれると信じている。お母さんが一生懸命に用意してくれた素晴らしい子に感謝しない子などいない

話は大きくなるけれど、親が子供を虐待したり、殺人にまで至るケースは絶対に母親の心に余裕がな無くなってしまっているに違いない

江戸時代、長屋生活では長老が子供たちに生活のルールを教え、貧しくっても心豊かな楽しい時代であったと思う。ゴミ収集車なんてこなくても、街は皆が隣の家先まで掃除すればきれいに保たれていた。

今は、なにもかも使い捨て、子供は個食(粉・独・子・・・)で、食べ物はジャンクフード。日本は運転手不足でペットボトルももう運べない。食事よりも携帯電話。日本の歴史をさかのぼれば、圧倒的時代は、飢えにくるしんできた民族でもある。飽食の時代は、私たちの今後の日本の在り方を模索させてくれている。繁栄は絶滅か今、日本人は試されている。