わかれみち

2011年2月15日 佐藤 文彦 原文からそのまま引用

   わかれみち

 湿地帯や河川そして、湖には折に触れて渡り鳥がゆったりと水面を滑っています。

 雁が白鳥などが羽を休めているような、時間に乗っているような優雅さを思うのです。

 空を越えて海を渡り地球を大きく棲む超然とした姿、その鍛えられた無駄のない肢体に人間は憧れさえ感じるものです

 

 花鳥ティ風月と申しますが、身近な周囲に四季折々の自然を

  受けとってきた自然観は絵画や詩歌、舞踊そして建築に

  再現されてきました。

  それらでは余白あるいは間の中に年々歳々の時間と空間を

  共有しています。営む多様な生きる姿と共に味わうひと時。

  たまさかに生を営む個々の生々流転。私たちの文化は

  山川草木に暮らしいきるものの姿から自然界と時間の奥行きと悠久の無限を自他の別を越えてアイデンテ

  ィティを求ティめてきたように思います。

 

▼ 近年鳥インフルエンザにおいては、渡り鳥の航路やその生態の忌まわしい存在として語られる傾向を

  招いています。ニワトリにとって渡り鳥は上空を脅かすステルス戦闘機のようなものとして大新聞が表現

  していました。実際はそもそも空を見上げることのできる環境に在るニワトリは一億羽以上のうちパーセントもいないでしょう。窓もなく高層の鶏舎から一歩も歩くことさえない状態です。オスに逢うことも、土を歩き日光浴することもなく食べ物は選べずに骨粉さえという暮らし。採卵なら檻に入れられて8年生きることのできる彼女たちを一般に2年で処分します。消毒と処分により

   生物の健康と生命を単体として扱い生死を管理し排除して人口環境や安住を求める道のりです。

種(ほとんど日本の鳥ではありません)、飼い方や飼料について生体として喜びと壮健を共にする

          畜産もできるのではないでしょうか。

 

▼ 近代農業は安定供給と短時間・大量生産においてコスト競争に専念し生産力工場を競っています。

   細菌の特定や遺伝子の操作など人とその社会のみの生命力と健康観に特化した製薬の開発や科学肥料の

        普及などは食糧生産に資本の投下と回収機能を発揮して

        います。一方生物多様性による免疫機能や生態系の

       バランスで共有、共存する大きな群れとしての生命維持

       と群れとしての健康については概念から具体的に科学

      し説明する研究と学術研究が実態に追いついていないよ

      うに思われます。食べ物がどの側から採るか。そもそも自然界に生きることを断念してゆくのか、

      生物の群れとともに生命観と健康を共有し共存する農業生産は全く収支にならない持続可能なのか。

      すでに結果の出ている個々の実践事例を検証しながら生きる場所、暮らす場所を再び広大な生態系に

      開拓すること、分岐点にたってるのではないでしょうか?