木村秋則・奇跡の「りんご」

苦節11年。りんごに接ぎ木、薬は当たり前、しかし木村家に嫁いだ木村さんは愛妻が農薬にかぶれているのをみて、無農薬でりんごを創る決意をした。しかし、借金は増えるわ、変り者扱いされるやいよいよ追い詰められて岩木山の上って首をくくろうと決意して上った。いよいよロープをかける段になって月あかりに照らされて投げたけれどうまくひっからなくてドサッと落ちた。その時である少しまえにりんごの木がある。近寄ってみると木が青々と茂って、土がふわふわで匂いが暖かった。これだ。急いで戻って次の日から土を柔らかくしたら、雑草が生えてきた、虫もやってきた。くず大豆を畑に播いたらどこからか鳩が飛んできた。鳩はどっかから来た。それで畑にまぜたら、土も雑草も元気に育った。そして10年目山一面にりんごの花が咲いた。実がなった。収入になった。私は、りんごの木は私の部下言うことを聞け。そんな高飛車な気持ちだっかが、自然のあたたかさに助けられた。キャバレーのホステスは、トイレ掃除はしない。朝方まで働いて、働いて、朝はりんご畑へ。奇跡のリンゴは成った。(三橋 敏次)

1970年代の青森県中津軽郡岩木町(現・弘前市)。三上秋則はリンゴ農家・木村家の一人娘・美栄子と結婚して木村家に婿養子入り、サラリーマンを辞め、美栄子と共にリンゴ栽培にいそしんでいたが、ある日、美栄子の体に異変が生じる。美栄子の体は年に十数回もリンゴの樹に散布する農薬に蝕まれていたのだ。 秋則は美栄子のために無農薬によるリンゴ栽培を決意するが、それは当時、絶対に不可能な栽培方法と言われていた。秋則は美栄子の父・征治の支援を受けて無農薬栽培に挑戦するが、案の定、何度も失敗を重ね、借金ばかりが膨らんでいく。次第に周囲の農家からも孤立していき、妻や娘たちにも苦労をかけてしまう。 10年の歳月がたっても成果が実ることはなく、窮地に追い込まれた秋則はついに自殺を決意、1人で岩木山に向かう。すると、彼はそこで自生した1本のくるみの樹を発見、樹木は枯れることなく、また害虫も発生していなかった。秋則はその樹を見て、これはりんごの木でも同じことが考えられるのではないかと思う。これが奇跡の大逆転の糸口となる。